さて、パリで最初の観光は「シテ島」。
シテ島(シテとう、仏:Île de la Cité)は、サン=ルイ島と並ぶ、パリの中心部を流れるセーヌ川の中州である。パリ市内で最も古い歴史をもつパリ1区及び4区に属し、“パリ発祥の地”とも称される。ユリウス・カエサルの『ガリア戦記』では、すでに紀元前1世紀にパリシイ族(Parisii)が住んでいたことが述べられている。
Wikipedia
赤丸で囲んである部分が「シテ島」です。
かの有名なナポレオンの戴冠式があったノートルダム大聖堂がある場所です。
私がまず目指したのは「サントシャペル」。
この教会のステンドグラスはノートルダム大聖堂よりも美しいと事前情報をゲットしていたのだ( •̀∀•́ )
行き方はメトロ(地下鉄)7番(ピンク色)で「ポンヌフ駅」からセーヌ川に架かるポンヌフ橋を渡ったらすぐにあります。
ごっつい金色の大門があるのですぐに見つかるはず!(はずです!)
では、早速教会の中を見てきましょうd(‘v`●)
教会の中の薄暗く細い階段を昇ったら、全面にこのステンドグラスが目に飛び込んできます。
今となっては当時のスマホカメラの限界を感じますが、実際に現地で見るとあまりの美しさに圧倒。
いつも一人旅なので内部対話がメインな私も思わず「うわぁ」とため息にも近い声が漏れてしまいました。
そんなに広い空間ではないだけに、ステンドグラスが間近に見えて迫ってくる感覚。
それは決して圧迫感とかではなく、包み込まれるような不思議な感じで何時間でも居れるんじゃないかと思わせる。
見学者は結構多かったけど皆ステンドグラスの美しさに沈黙していたので、静寂の中で存分に堪能できました(*´д`*)
さて、 サントシャペル のあとは本日のメインディッシュ「コンシェルジュリー」を見学します。
コンシェルジュリーとは「昔の監獄」です。
あのマリーアントワネットもここで幽閉生活を送っていました。
それでは牢獄へご案内します。
兵士たちの待機所。
ここで食事もしたりしてたそうです。
脱走などがあるとここで待機している兵士が出動します。
こちらが独房。
因みに独房にもランクがあり、お金があるベットのある独房に入れます。
一般市民は藁が敷き詰められてただけの箱の中に入れられます。写真に写っている桶のようなものはトイレです。
小金持ちが入れる独房。
藁だけの独房とはずいぶん違いますね。なにせベッドがありますもの。でも、冬は寒そう。。。パリは緯度が日本の北海道くらいの位置(もう少し上)なので、冬の寒さはいかばかりか。。
金持ちが入れる独房。
全然違いますね。ベッドに加えて椅子もテーブルもあります。本を読んだり、物書きもできるので独房での過ごし方は藁の独房に比べて快適かと。
こちらは中庭。
この中庭を取り囲むように独房などがあります。
あのマリーアントワネットもここでしばしの散歩をしていたのかもしれません。
当時の囚人」になった気持ちで歩いてみました。
…
…
…
…
いや、すみません。無理です。
当時の囚人なんて、取り調べが拷問だし、その拷問もエグいし、有罪になったら刑罰も拷問だし、当時の囚人の気持ちなんてわかる訳ありませんでした。。。( ;∀;)
さて、先ほども言ったようにここはマリーアントワネットが絞首刑に処せられるまで収監されていたのですが、当時の部屋が再現されていました。
マリーアントワネットの独房。
真後ろには衝立があり、そこで常に監視の目があったそうです。
落ち着かないですね…。
幽閉中のマリーアントワネットの肖像画。
ベルサイユ宮殿にいたころとは全く違う人相になっています。とても38歳とは思えない…。
遺書を書き終え、断頭台に向かうときお付きの人達が泣いてすがる姿を見ても毅然としていたと言われています。
マリーアントワネットはコンシェルジュリー からギロチンのあるコンコルド広場まで民衆に晒されながら肥桶の馬車で運ばれたそうです。
それほどまでに民衆の怒りの矛先がマリーアントワネットに向かってしまった時代背景を考えると何とも言えない気持ちになりました。
そして、彼女の子どもたちに待ち受ける壮絶な人生をわたしはこの後知ることになるのですが、それはまた今度。