ポーランド~帰ってきたワルシャワ編①

ポーランド~帰ってきたワルシャワ編①

※これは2019年8月のお話です

2泊しかできなかったクラクフだが思い出はいっぱい。

クラクフについてはこちら

さてワルシャワに到着して速攻入院というドラマティックな展開をぶちかましてしまった私は、一切観光する事もできず、いそいそとクラクフへ移動してしまったため、残された2日間でワルシャワを弾丸観光しなければならないのである。

ちなみに2日後にはハンガリーへ移動するため、さっさと目的地を決めて効率的にワルシャワを回らねばならぬのじゃ!

急いでいても朝のカフェタイムは絶対必要

急げと言いながら、海外旅行の時は朝のコーヒータイムはしっかり、まったり、時間をとると決めている。日本でのせかせかした生活から離れ、ホテルの近くのカフェでコーヒーを飲みながらその日にどこを回るかを決めたり、絵日記を描いたりしているのだが、正直これだけのために海外旅行に行きたいと今は思う。

ホテル近くのカフェ 撮影:モモンヌ

ワルシャワ最初の観光は旧市街地(オールドタウン)散策へ

さて、肝心のワルシャワ観光をどうすかだが、まずは旧市街のワルシャワ歴史地区を見て回ることに。

第二次世界大戦でワルシャワは建築物の約84%を失い、戦後はソビエト流の街に作りかえる計画だったが、ワルシャワ市民達の手によって当時の街並みを再現する事になったらしい。

旧市街マーケットプレイス 撮影:モモンヌ

驚いたのは当時の街並みが寸法も含めて再現されている事だ。

なぜそれが出来たかというとワルシャワ工科大学の学生達が残した3万5000枚にも及ぶ建物の図面や壁の装飾や建物内の階段の構造のほか、中には実寸大で記録されたスケッチが残されていたからだ。

ナチス・ドイツに占領される中、大学の講師が生徒と協力して膨大な図面や写生、絵画を命がけで書き残し、戦後にポーランド市民たちが瓦礫から煉瓦を再利用しながら街ごと厳密に再現されたのだ。

人々の情熱はこうやってバトンで繋がれていくものなのだろう。

復興の際に掲げられた信念は「意図と目的をもって破壊された街並みは意図と目的をもって復興させなければならない」というもので、また理念は「失われたものの復興は未来への責任である」というものだったそうだ。

旧市街の広場は多くの観光客で賑わっており、人形劇の路上ライブや、画家たちが絵を売っていたり、戦争の傷跡さえ感じさせない。破壊したのはナチス・ドイツや旧ソ連軍であったが、侵略されたポーランド人たちは市民が未来への責任を果たしたのだ。情熱と愛情によってこの旧市街は存在しているのだと思う。

余談だが、最初にワルシャワに到着した日に予約していたホテルが無かったという珍事件が発生し、のちに問い合わせたら住所の記載を間違えていたとのことで返金していただいたのだが、今回はこの旧市街地の近くのホテルを予約しており、意気揚々とそのホテルにいくとやはりホテルが存在していなかったということを今初めて話す。※一回目にホテルがなく腹痛を抱えて路上を彷徨い、優しい紳士に国際ホテルを案内してもらいチェックインできたはいいが結局病院に緊急搬送されただけでお腹いっぱいなので、クラクフから戻って次に予約していたホテルも実はなかったという話をするのに3年越しとなってしまった(笑)もちろん家族も友人もこのブログを読まない限りその事実を知る事はない!

消えたシャツ

因みに観光に行く前にまだ一度も手を通していなかったお気に入りのシャツを着てキメキメポーズで写真を撮って浮かれていたのだが、旧市街を散策してホテルに戻ったら見事のシャツが無くなっていた。

ホテルもシャツも神隠しあうのか?ホテルはもういいけどシャツはお気に入りだったので戻ってきてほしい。

ホテルで決めポーズを撮る恥ずかし私
旧市街散策中の私

旧市街を散策中に厚くなったのでシャツを脱いで腰に巻いている証拠写真を見つけたのだが、確かこの日は風がとても強かったので、何かの拍子で腰に巻いている結びが緩み風に飛ばされていったのだろう。。。

偏西風によって日本まで飛んできてくれることを願う。見つけた方はこっそり連絡をしてほしい!

続く

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