ポーランド~帰ってきたワルシャワ編②

ポーランド~帰ってきたワルシャワ編②

※これは2019年8月のお話です

ワルシャワの旧市街を見て回った後は、ポーランドユダヤ人の歴史博物館へ。

ポーランドユダヤ人の歴史博物館

1000年にも渡るユダヤ人の歴史博物館、通称「POLIN」。POINはヘブライ語で「ここで休む」を意味という意味だとか。1000年の歴史の中で、第二次世界大戦中に多くのユダヤ人が命を落としたことから”ここで安らかに”という想いで2013年にワルシャワゲットー蜂起70周年を記念して建てられたのだとか。

ワルシャワ蜂起記念碑

旧市街市場広場から博物館へは徒歩で向かったのだが、途中こんな彫刻が。調べてみるとワルシャワ蜂起記念碑だそうで、後ろにある建物は最高裁判所だとか。

ナチスドイツ軍の攻撃で崩れ落ちる遺跡の下を走り抜ける兵士の像。

この記念碑の近くに実際にドイツ軍から逃げる兵士がつかった下水道に繋がるマンホールがある。
闘いは63日間。その間の死者は約20万人。しかも、ワルシャワ蜂起はドイツと敵対する旧ソ連がポーランドにけしかけて始まったにも関わらず、戦闘になるとソ連からの救援は全くなかったらしい。

ポーランドユダヤ人の歴史博物館の入り口

なんとも近代的な建物で驚き。

1000年前から近代までのポーランドに住むユダヤ人についてじっくり見学していきます。

ユダヤ教の会堂シナゴーク

実はずっと見たかったシナゴーク。ユダヤ教の方々の礼拝の場でもあり、集会所の役割も担っている会堂。実際のシナゴークはまだ行ったことがないのだけど、内部がこんなに豪華とは、、、、。天井が素敵すぎる。像とかいるよ(*´ω`*)多彩なのに調和がとれてるってどういうことですか?(*´ω`)

後で知ったのだけれど、クラクフに見学できるシナゴークがあったとのこと、、おおぅ( ;∀;)行きたかった。。。

こんな美しい建物もあの「水晶の夜」に一夜にして破壊されたというの現実が頭をかすめる。

1938年11月9日の夜、ユダヤ人迫害により多くのユダヤ人が暴力をうけ、各地のシナゴークは破壊された。ユダヤ人が経営する商店なども破壊され、飛び散ったガラスの破片がキラキラしていたことから「水晶の夜」と言われるようになったのだとか。私たちはもう当時のシナゴークをもう見ることはできない。もちろん破壊からま逃れたシナゴークもあるが、ヨーロッパの街中に古くからある教会のように簡単に当時のシナゴークを見る事はできないのだ。

ホロコースト

これからアウシュビッツに送られるのであろう親子の写真。クラクフのアウシュビッツ・ビルケナウ収容所の見学で中谷さんが言っていた言葉を思い出す。当時監視員をしていた人が戦後に語った言葉「これから自分たちがどうなるか、子どもたちはおそらく分かっていたと思う。ただ、自分の親が恐怖に震える姿を見て何かを感じ取った子どもたちの中で泣く子はいなかった」と。

瓦礫と化したポーランドの街

第二次世界大戦でドイツの占領下だったポーランドの街は瓦礫と化し、ドイツは敗戦。ポーランドはドイツから侵略され、その後ソ連からも侵略され、多くの市民が犠牲になった。ヨーロッパで行われた最も犠牲の大きな全面戦争の一つとされている。

ポーランドの旧市街地が、この状態から復興していったという事実を知って、命を懸けて当時の街の建造物のスケッチを残してくれたワルシャワ工科大学の学生達や教授の功績の凄さに改めて心を揺さぶられる。

「意図と目的をもって破壊された街並みは意図と目的をもって復興させなければならない」

「失われたものの復興は未来への責任である」

と言う言葉を今一度思い出しながら見学を終えた。

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