私が心理学を勉強していて、ずっと思っていたことがある。
毎日キラキラする事が正解なのか(?)
心理学の資格と取るために、月に2回講義に出席し丸一日座学やワークをやるのは楽しかったのだが、「とにかく毎日楽しいです!」「成長している自分を感じました!」などと言った同期たちの言葉を聞いて、ピンと来ていない自分がいつもいた。
最近よくSNSで「嫌なことをやっているより、人生楽しい事をやっていた方がいい」「人生100年時代、もっとキラキラした毎日を」といった内容が目に飛び込んでくる。
その度にそっとスマホを閉じる私。
SNSなので文章を短く端折っているのは承知なのだけれど、あまりに乱暴だなと思ったり。
そりゃ、クサクサして毎日過ごすより楽しい方がいいに決まっている。でもそれを「ほら!あなたも!人生楽しんで!」って強引に強要されている気になってしまうのでは、私の性格がガウディ建築の鉄のようにひん曲がっているからかもしれない・・
ところで「人生100年時代」と数年前からよく聞く言葉だが、私からすると「そんなに生きたくない!」である。100年生きたいと思っている人を否定しているわけではなく、何歳になったも今が楽しい!もっと長生きしたい!と思う事も素晴らしいと思う。
でも、「そうじゃない人の事も認めてほしい」とも思う。
何歳まで生きたいかは人それぞれだし、人生100年時代だから好きな事して生きていこうと言われても、毎日の生活の事があるので好きな事だけして生きてはいけない。
以前「なぜ仕事が嫌だ嫌だと言いながら、そんなに嫌な仕事をしているのか不思議でならない」と言っていた人がいたのだが(嫌だと言っていたのは私ではなく別の人)、生活があるからだ。生きていくためにお金を稼がなければいけないからだ。
夢や希望があってキラキラしている事がまるで正解のように聞こえるが、正解は誰かに押し付けられるものではなく、一人一人あっていいのだ。
誰でも夢の一つや二つがあるだろうと思っているのも、相手の勝手な思い込みで、「やりたい事はありません」という人だっていると思う。
毎日「仕事たのしー!ハッピー!キラキラ★」という人もいるだろう。そういう人から見ると、嫌々仕事して何が楽しいの?と思うかもしれないが、嫌々仕事した帰り道にコンビニで好きなアイスを買う事が楽しいと思う人だっている。稼いだお金で趣味を満喫している人だっている。
遠藤周作先生が「生活」と「人生」と言っていたのだが、私はこの言葉が妙にしっくりくる。生活というのは「つまる・つまらない」関係なく生活費を稼いで生きていく事。人生は生きていてほんの少しでも幸せと感じられる事だと思っている。これは私の個人的な意見なので「違う違う!」と思う人もきっといるだろう。でも私はそう思っている。
生活ができないと人生のことを考える余裕すらなくなる。まずは最低限の生活をしようとした時に仕事を選べる人はいいだろう。色々な事情で選べない人だっている。「生きていくため」に好きでもない仕事をして何がいけないのだろう?文句ばかり言っていても地に足つけて必死で生きていこうとしているかもしれない。
私も20年ほど前に借金を負わされて毎日生活していくために、全く好きでもやり甲斐もない仕事をずっとしていた。コロナ禍で困窮者が増え生理用日が買えない若年層が増えたとニュースでしていたが、その頃の私がまさにそうであった。生活が行き詰まり人生もどん詰まりだった。文句の一つも言いたかったが、残念ながら自分の周りに借金まみれになっている事を隠していたので愚痴すらこぼせなかった。
今日が生きられるのであれば愚痴なんていくらでもこぼせばいいと思う。
要するに、生活がどん底で人生も真っ暗であっても、キラキラしていなくても今日を生き抜いたアナタはよく頑張った、立派です。と言いたい。
私は、それを伝えたくて心理学講座を作ったのだ。