チェコ共和国

チェコ共和国

先日、NHKで「ヨーロッパトラムの旅」でチェコのプラハをやっていたので、チェコへ行ったときの話を書いてみる。

そもそもいつ行ったかを思い出すため写真を漁っていたら、なんと2016年11月だった。遠い記憶を手繰り寄せる。

覚えているのは、チェコ共和国は「ユーロ」という通貨ではなく「チェコ・コルナ」という通貨であるため当時ユーロしか使ったことのなかった私はそれだけで軽くビビッていた。ユーロであれば郵便局で換金できるが、「チェコ・コルナ」は一体どこで換金すればいいのか。そしてなんだか「チョココルネ」みたい。

関空の換金所ならどんな通貨もありそうなので、手数料はこの際高くても日本で換金したほうが安全と考え出国前に無事換金。
因みに1チェコ・コルネは5.10 円である(2021年5月3日21:00現在)。
パリからウィーンへ行く途中で立ち寄る予定だったので、そんなに通貨をもっておく必要はないが万一のため中心街のレストランの相場を確認して日本円で3,000円ほどあれば十分だろうという決断になった。3,000円だと約600チェコ・コルネである。この時点で自分で書いていて混乱し始めた。

パリを堪能した後に、シャルルドゴール空港からチェコ行のヴァーツラフ・ハヴェル・プラハ国際空港へ飛行機を使って約2時間弱。因みにヨーロッパはシェンゲン協定を結んでいる国であればパスポートなしで自由に行き来できる。

赤で囲ってある「Schengen Area」がシェンゲン協定に加盟している国。

転載元:Wikipedia シェンゲン協定画像よりhttps://commons.wikimedia.org/wiki/File:Supranational_European_Bodies-en.png

余談だが、チェコ共和国は昔「チェコスロバキア」という一つの国であったが、1992年6月に分離協議が開始され11月には分離法律が出来上がり12月31日に分離という超スピード離婚だったため(平和に分離している)「え?チェコとスロバキアって分離してたの?いつ?」と思う人も多いだろう。因みにスロバキアは通貨がユーロである。いつか行ってみたいぞ。

かなり前置きが長くなってしまったが、私がチェコ共和国のヴァーツラフ・ハヴェル・プラハ国際空港に着いたのは夕方18:00頃だったと思う。チェコからウィーンに行寝台列車に乗るまでの5時間くらいの弾丸見学である。

空港から市街中心地までは高速バスで移動したのだが、結構人が多く座席が空いてなく40分弱立ったままだった。6年前のバスの事をよく覚えているなと思われるだろうが、高速バスの車内で車酔いした女性が吐いたからだ。しかも私の隣で。なのでよく覚えている。

バスはプラハ本駅に到着したのだが、夜だったこともあり「陰鬱で怖い」という第一印象であった。(何度も言うがプラハはもう一度行きたい場所である)

プラハ本駅は1871年に開業された歴史ある建物で大変美しい事で有名であるが、夏のシーズン中ではなく私が訪れたのが11月というシーズンオフだったこともあってか、人影もまばらでまさにカフカの世界観に見えてしまい、恐ろしさのあまり写真すら撮っていない。

さらに、駅を通過して旧市街まで歩いて10分ほどなのだが、歩いた経路が悪かったのか街灯もあまりなく私の前に行く人は皆無。後ろからヒタヒタと足音がしただけで「事件が起こる!」と思わせる恐怖感。

さらに陰鬱さを増長させるのがホームレスの存在感である。(念のため書いておくのだが、6年前の話なのでホームレスも現在と当時では随分違うと思う。あくまで6年前の話である。)
これまで行ったヨーロッパの国々でホームレスの多くは片膝をついてたり胡坐を組んで座っていたりするだが、プラハで見たその人たちは土下座スタイルだったのだ。しかも私が見た中の9割は何故か片方の靴を脱いでいる、そしてその内の7割が隣に大型犬を座らせている。なぜ?なぜ土下座&片方の靴脱いでるスタイル?脱いでいる靴は傍らにあるのだが、なぜ履かないのか。脱ぐなら両足抜いでいた方が効果(?)があるのではないのか。陰鬱が増す。。。

等間隔に並ぶ土下座スタイルのホームレスを横目にしながら街灯の少ない道を小走りに進み、やっと旧市庁舎の天文時計に辿りついた。さすがにオフシーズンとは言え、ここまで来ると観光客が多い。少しホッとはしたのだが第一印象に引っ張られて旧市街広場から見える有名なティーン協会もホーンデッドマンションに見えてしまった。。

因みにこの天文時計は何と15世紀に作られたものらしい。一時間置きに時を告げる鐘とともにカラクリ人形が出てくるのだが、ちょうど私が着いた時がその時間であった。人が多かったのはそのせいで、カラクリ人形が終わると一気に人がいなくなって、また暗闇にポツリ。。。怖いんですけど。。。

夕飯がまだだったため、事前に調べていた「コスパがよい」という口コミのお店に行ってみたのだが、まだ7時過ぎだというのに店内はガラガラな上にほとんどのメニューが撤去されていた。だんだん悲しくなってきたが、せっかく来たのだ、何か食おう。残っているメニューから全く読めないチェコ語と英語を睨みつけ「pork」と記載されたものをオーダー。正直に書く、好みの問題なのでスルーしてもらっていいのだが、不味かった。
フードロスが叫ばれる昨今にこんなことを書くのもアレだが、どうしても最後まで食べきれず残してしまった。
さらにお会計の際、財布のファスナーの部分に200チェココルナ紙幣が引っ掛かり、端っこが少し破れてしまったのだが「破れている紙幣はダメ」と突き返される始末。最初にも書いたが3000円分のチェココルナしか換金していなかったので、200コルナ(1000円くらい)が使えないとなると残り2000円程度しかない事になる。大丈夫だろうか。まぁカードを使えばよいのだが、ここで使い切りたい気持ちもあったため無念。

腹は満たされなかったが時間がないのでサクサク観光する。
次に行くのはカレル橋。プラハ市内の中心を流れるモルダウ川にかかる石橋である。
プラハの夜景は素晴らしいと色々な記事で読んでいたし写真もたくさん見ていたので楽しみである。
暗い夜道は相変わらず怖いので地下鉄に乗ろうかと思ったら、地下鉄の雰囲気がもっと怖かったので、徒歩で向かう。めちゃ早歩きで。

(´・ω・`)ゞウーン、、、何だろう。まず、写真の撮り方がど下手くそ過ぎて、当時の記憶が蘇らない。確かにカレル橋を歩いて渡ったのだが、良かったのかどうか全く記憶がない。ぼんやり覚えているのは「全体的に薄暗い」である。いつもの私ならそんな薄暗い感じも当時の雰囲気として楽しめるのだが、何だかソワソワしてしまって駆け足で橋を渡りきってしまった。そこからプラハ城に行ってみようと思って歩き続けたのだが、結構な坂道な上にただでさえ少ない人影が最終的には皆無になってしまった。怖い。
途中でググってみたら、どうやらトラムやバスじゃないと行けない距離らしい、しかも山の上である。
「なるほど」と光の速さで来た道を引き返し、旧市街の中心部に戻った。

20時過ぎてほとんどのお店(飲食店含む)が閉店していたが、かろうじて開いていたお土産もの屋さんやお菓子屋さんに入って時間を潰し、そろそろかと思いウィーン行の寝台列車に乗るため、プラハ本駅に舞い戻ったのだが、鉄道乗り場へ行く改札がない。そう、スルーで誰でも入れるのだ。因みにウィーンまでの一度も切符拝見がなかったので無賃乗車できまくりやないかい!と内心思ったのはここだけの話である。

たった数時間でプラハの良さが分かってたまるか!と思われる方、分かります。なので、もう一度行きたいと思い、実は2019年に行く予定だった。しかしポーランドからチェコに移動する航空券の予約チケットのスペルミスにより変更手続きがあまりに面倒で、急遽チェコ行きからハンガリー行に変えてしまったのでまだ実現していない。

今度行くときはプラハで有名なマリオネットの人形劇も見たいし、昼間にプラハ城に行ってみたいし、ミュシャ美術館にも行ってみたいと思う今日この頃である。

日記カテゴリの最新記事