さて、ポーランドに入国して速攻で救急搬送されてから12時間。
エコー検査、子宮検査、点滴2回。
ここまでに医者は一度も現れず、永遠と廊下の硬いパイプ椅子または、床に寝転んで点滴を打っているのだが、ここまで来ると眠気が酷い。
どうにか横になりたいので、通りかかった看護士さんに「ベットに、、」と言いかけても食い気味で「ノー。ここで待て」と言われ更に意識が遠のく。
何故、ベットに寝かせてくれないのか・・・。
ベットは3つあり、全て空いていることを私は知っている。
私以外の救急患者も全員廊下で待たされているが、時間が経つにつれ一人減り二人減り、12時間後には私一人である。
もう日本に帰国するしかないかと絶望の淵を彷徨っていたが、2本目の痛み止めが奇跡的に効いたようで腹の痛みが引いた。
気になるのは救急で来てしまったのでスマホとポケットWi-Fiの充電がどんどん無くなっていく事だ。
ポーランド語はおろか英語さえもサッパリな私はスマホの翻訳機能が命綱である。
「もう痛くない。ホテルに帰りたい」と看護師に伝えると、なぜかベットに促され横になって医者を待つよう指示された。なんでじゃ( ゚Д゚)
いや、もう医者いいっす、、。とも言えずベットに横になった途端に気絶するが如く眠りについた。
目が覚めるとすっかり腹痛は治り、なんなら腹が減っている。
時計を見ると朝の9時。。。
病院に運ばれてから16時間も経過しとるやないか!
すると、ベッドを仕切っていたカーテンが開けられ医者登場!
「おはよう!ドクターのジョン(仮)だよ。調子はどう?」と爽やかに握手を求められたが、こちらはジョンが登場するまでに16時間は待たされているので心肺停止までいかないと医者が出てこないのかと思わせる病院のシステムについて握手より先に討論したいところである。
痛みは治っているので帰りたい旨をジョン(仮)に伝えると「まだ検査が必要だから、もう少し待って。お腹に何かありそうなんだけど、ハッキリ分からないので造影剤を入れるCT検査をする」と、また検査地獄を告げられた。
しかし、腹が減った。
暫くすると入院食の朝食が運ばれてきたので、光の速さで食べようとした矢先、「ちょっと待って!」と看護師にさんに止められる( ;∀;)
CT検査が終わるまで食事禁止とのこと。。
ハムの一欠片でいい。食べたい、、、。
食べたすぎて、カーテンの隙間から看護師さんがコーヒータイムしているのをガン見してやったぜ。
その後、「CT検査は1時間」と言われていたが2時間かかり、「結果がでるまで更に2時間待て」と言われてから4時間待たされ、最終的に医者に言われたのは
「子宮あたりに何かあるが、よく分からないので専門の産婦人科病院へ今から行ってください」だった。
よく分からないって、なんやねん_| ̄|○
しかも、救急隊が既に待機している。
嫌じゃ、、、行かない、、、!!
もう痛くないし、今日中に私はクラクフに移動しなければならないのだ。
私はジョン(仮)に「もう痛くないし、専門の病院が必要ならすぐに帰国して日本で診てもらう」と告げたのだが、ジョンも「万が一何かあったら責任持てない」とお互い一本も譲らない。
「何かあっても絶対に病院を訴えない。自己責任で帰る」と嘘泣きしながら訴えてやっとジョンから釈放を貰えたのだが、この後さらなる問題が、、、。
支払いである。
ホテルから救急搬送されたので、手持ちの現金を持ってきていなかったのだ。
ポーランドはカード大国なので現金なんて使う事ないよーとの事前情報とは裏腹に、この国立病院はカード払い不可。
一回ホテルに帰って17時までに受付に現金で支払いをしろとの事。
クラクフ行きが近づいては遠のく、、、。
精魂尽き果てたその時、なんと!なんと!
日本大使館の方が登場!!
病院が日本大使館に「日本人の英語も喋れない子が救急搬送されてきたけど、心配なので見に来てほしい」と連絡を入れてくれていたのだ!!
入院、検査費用を日本大使館の方が立て替えてくれた挙句に、ホテルで車で送ってくれると言う。
天使ですか?
神からの使いですか?
大使館からは日本人の方一名とポーランド人の方が一名、二名も駆けつけてくれてホテルまで送ってもらう道中に、ポーランド人の方から「ワルシャワ観光できなくて残念でしたね」と、私より流暢な日本語で慰めてくれるくれたのだが、絶対あの方は神からの使者だと今でも信じている。
因みにその方の名前はマルタさん。
私は神からの使者にポーランドに来る事が5年越しの夢だったことを伝えながら、号泣してしまった。
そう、私はポーランドまで来るのに5年かかったのだ。理由は今回長くなるので割愛するが。
元気付けようとしてくれたのか、神からの使者マルタさんが
「知ってますか?ポーランドで有名な文化科学宮殿は、市民から嫌われてるんですよー。
あれは、第二次世界大戦後に旧ソビエト領になり、独裁者のスターリンが建てさせたものなのです。だから、市民はあの建物を見ると共産主義時代を思い出して嫌な気分になるのです。
でもね、1箇所だけ市民が建物で唯一良いといってるのが、最上階からの眺めなんです。
何故かって、最上階から景色を見ると宮殿が見えないからー笑笑」と
ポーランド人あるあるを笑いながら教えてくれた。
泣ける、、、。
優しさに泣ける、、、。
私はこの旅をパーフェクトと今でも思っているのだが、ポーランドの国立病院を堪能し(その時は地獄でしかなかったが)、実際にポーランド在住者にこんなリアルな話を聞ける事なんてまず無いと思う。
そこに来て、日本大使館の方の優しさも相まって号泣しっぱなしであった。
その後、ホテルで無事荷物を受け取り立て替えてもらったお金を日本大使館の方に返却。
「この後は帰国されますか?」
と聞かれたので
「いえ、クラクフに移動したいです」
と告げると、すぐに電車の時刻を調べてくれて、駅まで車で送ってくれたのだ、、、。
皆さま大天使さま、ここに居ますよ!
駅で大使館の方にペコペコと頭を下げながらお礼を言ってワルシャワ駅で分かれた。
もし次にお腹が痛くなったら、すぐに帰国しよう。
そう心に誓って私はクラクフ行きの電車に乗り込んだのであった。
最後に、海外でトラブルがあったときに助けてもらえる事は決して当たり前ではないので、特に一人旅の場合は事前の準備など自己責任でしっかりとしておくことをおススメします。体験者より。