初めてポーランド共和国へ行ったのは2019年8月。今からちょうど2年前の事。
実はポーランドへ行く前にパリに2日ほど滞在していたのだが、チェックアウトの日「何だかお腹が痛い気がする」というボヤッとした痛みからそれは始まった。
下痢かな?と思ったが、大した事ないだろうと、ポーランドへ移動するため、フランスのシャルル・ド・ゴール空港に到着し、飛行機を待っていた。
「あれ?何か痛みが酷くなってきたような」
待合席で痛みと対話しながら過ごしていると、出国時には
「とんでもなく痛い」に変わっていた。
そんな時に限って座席が初めてのビジネスクラス。
出てくる料理もエコノミーと違い、陶の食器で出てくるし、何か美味しそう。
少しだけ口に運んでみるが、腹部の痛みのせいで上の空。
空だけに、、、
言うてる場合ではない。
私の後ろの席のキッズがぐずり始め、背もたれをドカドカ蹴ってくるのだが、腹の痛みに心底響く。
約2時間のフライトは永遠と背もたれを蹴られ腹の痛みと闘うだけの時間だった😢
夜7時ごろにポーランドの「ワルシャワ・ショパン空港」に到着し、とにかくホテルまで急ぐ。一刻も早く横になりたい。
手っ取り早く鉄道に乗るためホームまで移動。薄暗いホームには人が全く居らず恐怖。
私はビビりなので、海外ではどんなに遅くても夜9時にはホテルに居たいのだが、夜7時でこのホラー感は流石に怖い。
鉄道でワルシャワ中央駅に到着し、早足でホテルに向かう。ホテルまでの道もこんなに薄暗い。
ひとっ子ひとりないじゃないか!
夏だよサマーだよ!サマーシーズンだよ!皆んな夜遅くまで遊んでるんじゃないの?ここはワルシャワ市内だよね?
振り返るとワルシャワの象徴「文化科学宮殿」さえも、この時のわたしにはホラーにしか見えない。
恐怖心と腹痛の狭間で若干意識を失いながらも、予約したホテルに到着。
。。。。
。。。。
到着したはずなのに、そこにホテルがない。
ホテルの住所を何度も見直す。間違ってない、51番地である。隣の美容院の名前もマップ通りである。
なのに、目の前にあるのはホテルではなく一般の人のマンション。
門に張り付いて中を除いていたら怪しまれて門番のおじさんが出てきた。ホテルの住所を伝えると、確かに51番地で間違いないが、「ここはホテルではないよ」と言われる😭
腹が痛くて横になりたいのに、このままでは路上に横になるしかないではないか!
暫くするとマンションの住人である紳士が帰宅して、門番と私のやり取りに入ってきてくれた。
「ホテルに電話してみたら?」と言われるが、ポケットWi-Fiしかないので、電話するなら公衆電話を探すしかない。しかし、ポーランドに着いたばかりなので紙幣はあるが小銭がない。
詰んだ、、、。と思い遠い目をしていると、住人の紳士がある提案をしてくれた。
「今日はそのホテルを諦めて、近くに国際ホテルがあるので、そこに空きがあるか聞いてみない?ホテルまで案内するよ」
神現る。
幻のホテルなんかさっさと諦めて、即答でそのホテルまで案内してもらった。
サマーシーズンなので部屋に空きがあるかどうか賭けだが、このまま路上に横になるなら試してみた方がいいに決まっている。
奇跡的に部屋は空いており、やっとの事でチェックイン。
その時には既に腹の痛みはピークに達していたので、そのままベットに倒れ込む。どうにか眠って目が覚めたらケロッと治ってたらいいなぁと、淡い期待を抱いたが腹の痛みで眠れない。
明け方、闘い終えたあしたのジョーのようになっていた私に、友人がLINEでフロントに病院教えてもらった方がいい。と言うので、もう歩けないほど痛くなってしまった腹を抱え、フラフラでフロントへ。
「とにかく腹が痛い」「もう歩けない」と伝えると、私を抱えてロビーのソファへ連れて行き、速攻で救急車を呼んでくれた。
そう、私はポーランド旅行の初めての朝を、救急車に運ばれて過ごす事になったのだ。
ヨーロッパは石畳で凸凹している道が多いため、救急車で運ばれる間も車体がガタガタ揺れて腹に響く。
どうなるんだろ、わたし・・・。
到着して早々に医者もいないのに、何故か点滴を打たれた時点で人生終わっててもおかしくないのだが2年経った現在生きているので、あの時の点滴に救われたのだろう。
長くなるので、そのあと入院した話はまた次回。