映画「グッバイ、レーニン!」

映画「グッバイ、レーニン!」

グッバイ、レーニン!-字幕版Amazonprime

撮影:モモンヌ 2018年8月ベルリン旧チェックポイントちゃーりにて

Amazonプライムで「グッバイ、レーニン」を観た。内容はまだ1970年代ドイツが東西に分断されていた時代、主人公のアレックスの母親は「祖国活動賞」も受賞するほど社会主義教育に熱心に取り組み二人の子どもを育てていた。大人になったアレックスは建国40周年で自由に東西を行き来したい市民デモに参加しているところを母親に目撃され、母親は倒れてそのまま昏睡状態に陥る。皮肉にも母親が昏睡状態の間にベルリンの壁が崩壊。母親は社会主義統一党書記長の退任、西ベルリンでの盛大なコンサート、ベルリンの壁廃品利用のキャンペーンも知らず、1990年10月3日に東西が再統一された後に奇跡的に意識が戻ったのだが、後遺症によって記憶障害があり医師から「ささいなショックも命取りになる可能性がある」と告げられる。アレックスは母が東西が統一したことを知りショックを受けて死ぬのではないかと心配し、母親を家に連れて帰り東ドイツだったころの服装、食べ物、自作で作成したテレビ番組などと用意して、どうにかドイツが統一したことを隠そうと格闘する。

テンポよくコミカルに描かれているためは悲壮感は全くなく、東ドイツを必死に再現するアレックスとその友人たちにクスっとしてしまった。

この映画は、東ドイツ時代の社会主義に対する皮肉やアンチ的な要素はなかったように思う。

終盤に主人公のアレックスが母親に東西が再統一して事を知らせるため、偽の建国日を設定し偽のニューズ番組をつくるのだが、東ドイツ時代にドイツ人初の宇宙飛行士となった「ジークムント・イェーン」に書記長の後任として国民に向けて演説をするシーンがある。その演説は主人公のアレックスが作った原稿などだが、その言葉を引用する

宇宙から青い地球を眺めてものの見方が変わったのです。限りない宇宙では人間などちっぽけな存在にすぎません。人間は何を成したでしょう。何が目的でいくつ達成したでしょう。

今日は建国記念日です。
(途中割愛)

社会主義は扉を閉ざすのではなく他者に手を差し伸べ共存することです。夢を描きそれを実現させることです。だから私は国境の開放を決めました。

この演説のあと、ニュースはベルリンの壁が壊されるシーンに切り替わり、偽のニュースキャスター(主人公アレックスの友人)が西側から東側に人がなだれ込んで来ていると伝える。そしてさらにアレックスが作った原稿を読み上げる。

壁が解放されて、すぐに何千人という西ドイツ市民が東ドイツを初訪問しようと殺到しました。その大半が資本主義の生存競争とは違う暮らしを希望、出世主義や消費主義を望まず無意味な競争を拒んだ人びとです。

彼らは人生を転換。人生には車やテレビよりも大切なものがあると善意を施し、労働に励んで自らの手で新しい人生を築こうとしています。

主人公は自分が作った偽のニュースを通して、母親が東ドイツ時代に社会主義活動に熱心だったことを決して否定せず、資本主義経済に対して皮肉をこめつつ東西再統一に対して発せられるメッセージは、今の現代社会を生きる私にとって感慨深いものであった。

偽のニュースを満足そうに見つめる息子のアレックス、しかし母親はニュースの途中から見つめている先は息子のアレックスである。これが自分のために作られた偽ニュースだと気付いているのだろう。それでも息子が作った原稿を聞きながら母親も満足そうな笑顔を見せる。

終始コミカルでありつつ、深いメッセージで「愛」を表現しているこの映画がとても好きだ。

因みに、ソ連に統治された東ドイツ時代、豊な資本主義の西側に亡命する市民が殺到しそれを食い止めるために作られたベルリンの壁。それを無断で超えようとすれば銃殺され、隣人が隣人を監視しシュタージ(東ドイツ国家保安省の工作員、秘密警察)に密告、経済は破綻寸前で東ドイツ市民は辛い毎日を送っていたという認識を持っている人は多いのではないだろうか?私もその一人だった。ベルリンのDDR博物館に行くまでは。政治的な意味では圧力は厳しかったが、私生活はそれなりに充実はしていたと当時の人々が語っていたのが印象的であった。

※DDRとはドイツ民主共和国 Deutsche Demokratische Republik)の略 通称東ドイツのこと

DDR博物館に行った時の話を今度書いてみようと思う。

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