ポーランド~クラクフ編②~

ポーランド~クラクフ編②~

2019年8月
ワルシャワからクラクフに移動して2日目、
私はバスに乗りポーランドの南側に位置する都市に向かった。

都市の名前はオシフィエンチム(Oświęcim)
この名前をウィキペディアで調べてみると、こう記載してあった。

ポーランド南部の都市。ドイツ語名はアウシュヴィッツ (Auschwitz) 。人口は約43,000。マウォポルスカ県シロンスク県の県境近く、ソワ川とヴィスワ川の合流点付近に位置し、クラクフから南西およそ60kmのところにある。1975年から1998年までは旧ビェルスコ・ビャワ県に属した。ナチ政権下で郊外にアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所が置かれたことで知られる。強制収容所跡は現在国立博物館として保存され、ユネスコ世界遺産負の世界遺産)に登録されている。

Wikipedia

ドイツがポーランドを侵略した際に、「オシフィエンチム」が言いにくかったため、「アウシュビッツ」と勝手に名前を変えられた場所。

この場所で無差別に多くの人が虐殺されたが、その正確な数値は未だ分かっていない。ドイツが戦争に負けると分かった時に多くの書類などが破棄されてしまった事や、収容所に着いてすぐ「労働力にならない」と選別された人達は、そのままガス室で殺されたからだ。

この博物館に、外国人として初めて公式ガイドに認定された中谷剛さんにと言う方がいらっしゃる。

https://www.asahi.com/articles/DA3S14627530.html


2019年になってから、中谷さんのメールアドレス(公開されているもの)を探しだし、
直接メールを送ってどうしても中谷さんにガイドをお願いしたい旨を伝えると
「6月くらいにもう一度連絡ください」とのお返事をいただき、時期を待って再度連絡を。

1か月くらい経ったころガイドをしてもらえるとのお返事をもらい、日程を教えてもらった。

ワルシャワについて緊急入院になった時に、どうしても翌日にクラクフに向かいたかったのは
中谷剛さんにアウシュビッツ・ビルケナウ収容所を案内してもらえる指定された日だったからである。

中谷さんにお願いした理由は、分からない英語で説明を受けるではなく、日本語聞くことで少しでも理解をしたかった事が一つと、同じ日本人である中谷さんから見えるこの収容所についても直接お話を聞きたかったからである。

私は広島県に生まれ育ち、広島への原子爆弾投下については幼いころから親や祖母、テレビ番組で当たり前のように聞かされてきた。これは私のアイデンティティを形成する一つの要素になっていることは間違いないと思う。

あの第二次世界大戦はなんだったのか。同じ敗戦国であってもその歩みは全く違う。
そして、ジェノサイドと認定されたホロコーストと、広島・長崎の原子爆弾投下は何が違うのか。

もしかすると、ここに来ても何も分からないかもしれないが、

2019年の夏、私はひとり「いのちの学習」をする事を決めていたのだ。

博物館へはA4サイズの荷物以上は持って入れないため、小さめのメモ帳とペンを握りしめ、私は中本さんの話を聞きこぽさないように、博物館へと足を踏み入れた。

補足
アウシュビッツ強制収容所の予約は、公式サイト上のオンライン予約のみとなっており、
ガイドの有無、ガイドの希望言語、希望日時、人数などが入れられる。
公式サイト:http://auschwitz.org/en

ガイド無しの場合、入館料は無料。

中谷剛さんにお願いしたい場合、このサイトで日本語を選んで予約することになるが、私のよう直にアポ取りをする人もいるので中谷さんの予定がすぐに埋まってしまうので、予約はお早めにする事をおススメします。

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